トキとカメラと農業を生きがいに・前編

~知られざる佐渡の人とトキと農の物語~
佐渡市小野見・大谷明さん(91歳)

2024年6月4日、佐渡島の大佐渡地域でトキの放鳥が行われました。
2008年から始まった佐渡のトキの放鳥はこれで30回目。
これまでは島の中央部の国仲地域や南部の小佐渡地域で行われてきましたが、今回、島の北部に位置する大佐渡方面で初めて行われることになりました。

どのような経過を経て大佐渡方面でトキの放鳥が始まったのでしょうか?
この取り組みが実現するまで孤軍奮闘したトキを愛するおじいさんがいました。小野見集落で暮らし、農業を営む大谷明さんです。
ここでは大谷さんと小野見の地域の皆さんの取り組みに光をあてます。

小野見(おのみ)は島の北西部の海沿いの小さな集落です。
海岸から山へあがっていくとすばらしい眺望の段々の田んぼが広がっています。

大谷明さんは今年で91歳。その年を聞くと誰もが驚きます。
毎日、朝早くから夕方暗くなるまで田んぼや畑に出て、黙々と1人で農作業をして働いておられます。その快活さ・壮健さはまったく年を感じさせません。
お米だけでなく、みかん、りんご、梨、スイカなどさまざまな作物を栽培しています。
毎回会いに行く度に田や畑でやさしい笑顔で元気に迎えてくれます。

大谷さんは長年土建会社に勤め、そのかたわら、家業の農業に従事してきました。定年退職後から農業一筋で働いてこられました。

幼く多感な時代を戦争の中で過ごされました。彼はその時に精神が鍛えられたと語ります。そんな大谷さんが少年時代から大好きだったのがカメラでした。

少年雑誌を読んで強い興味を抱いた大谷さんは親になんとかカメラを買ってもらい、熱中しました。さまざまなものを撮影しては自宅で現像して写真にしていました。
当時は日本がまだ貧しかった時代。カメラは家庭には普及していない珍しいものでした。親戚や地域の人に頼まれて集落の行事や祭礼などを撮影することも多かったようです。

うまく撮れた写真は集落の人や保育園の子どもたちに配って歩きました。その数は何百枚にもなるそうです。
写真をあげた人に喜ばれたり、地域のいろいろな人からトキの話題が出るのがうれしかったそうです。
いつしか大谷さんはトキの関係者の中で名物的な存在となっていきました。
そして、年を追うごとに大谷さんはトキの撮影に夢中になり、生き甲斐になっていきました。

トキと自分はカメラがつないでくれたと彼は語ります。

大谷さんは、田んぼに出るときにいつもカメラを持ち歩き、トキを見つけると、すかさず撮影しています。情熱に満ちたそのまなざしは少年のままです。
知人からトキがいるという情報をもらうと、どこにでも出かけていって写真を撮るという熱の入れようです。
(以下9枚のトキの写真は大谷さんが撮影したものです)。

彼は「大佐渡での放鳥」にこだわりました。自分の地域にはトキが実際にすでに飛んできているし、田んぼにはトキのエサとなる生きものがたくさんいるからです。

同じ佐渡でも、なぜいつも同じような地域だけで放鳥が行われるのか。自分たちの地域でも放鳥をしてほしいという強い願いを抱いていました。

時を同じくして、佐渡島の国仲方面(島の中央部)において、トキの過密が指摘されるようになっていました。

トキの野生下の個体数は2008年の初放鳥から増加し続けていましたが、2023年末の調査ではわずかながら初めて減少に転じていました(ただし、推計値)。

そういった背景の中でトキの野生復帰の計画について関係者の間で活発に議論が行われていました。

2024年春、小野見と近隣集落の住人とトキの関係者で話し合いが持たれました。大谷さんを中心にした、これまでの精力的な地域の活動があったおかげで、地元の農家の皆さんの間でトキを歓迎する機運や環境がすでにできていたことがあり、「大佐渡第1回の放鳥」が実現する運びとなったのです。

今回のお話の舞台、小野見の棚田の様子を紹介します。

山から海にかけ下りるように段々の田んぼが広がっています。

あぜは長く大きく、草がきれいに刈り込まれていて、稲が植えられている田んぼと交互に並び、独特の緑の模様を造りながら、青い海につながっていきます。
晴れた日に棚田の上まであがって見下ろすと、とても見晴らしが良く、さわやかな気持ちでいっぱいになります。

一方で、傾斜がきついため、平野の田んぼと比べると農作業の効率が非常に悪く、景観の良さとは裏腹に、農業を営むには条件が厳しい地域です。

これまで地域の皆さんで助け合いながら、なんとか田んぼを守ってこられました。
この美しい田んぼの風景も農家の皆さんの仕事があってこそ守られてきたもの。

そんな小野見の地元の農家の皆さんによって、最年長の大谷さんの活動やトキの来訪を長年あたたかく見守ってきたのでした。

小野見では田んぼだけでなく、大きなビオトープもあり、地域の協同作業で管理がされています。

トキたちがいつ帰ってきて十分エサを採れるようにと続けてきた取り組みです。

高齢化で農家の数も減り、寂しくなってしまったけれど、トキが定着して、地域が活性化してほしいという願いがそこに込められています。

小野見では、朱鷺と暮らす郷づくり認証米の取り組みの一環で、田んぼの生きもの調査を実践しています。
ビオトープや江(※)、田んぼにいる生きものを捕まえて、地域の皆さんで毎年観察しています。筆者も参加させていただきました。

さすがにトキがやってくるだけの場所です。短時間でさまざまな生きものを見つけることができました。正に生物多様性の宝庫です。

棚田を訪れるたびに農家の皆さんがやさしく迎えてくれます。
素朴だけど、とても温かみのある美しい村、小野見。

そんな小野見についにトキがやってくることになったのです。

6月4日。待ちに待ったトキの放鳥の日です。
第30回、そして、記念すべき、大佐渡第1回の放鳥です!

空は晴れ、風も穏やか。
トキの旅立ちを一目見ようと棚田の上にたくさんの人が集まりました。
小野見や周辺の集落の農家、地元の保育園の子どもたち、小中学生。
そこに大谷さんがご自慢のカメラを首にさげながら現れました。
いつもニコニコ笑っている大谷さんもこの日は特に素敵な笑顔をしています。

彼はカメラマンであると同時に放鳥に立ち会う大切な役割をまかされていました。トキを放ちながら同時にトキの放鳥を撮るのは難しい ― 大谷さんは悩んだ末に愛機を筆者にたくしました。
決定的瞬間をとらえるために同じくカメラ好きの筆者にピッチヒッターの指名がされたのです。トキとの縁はカメラだったという大谷さんらしいアイデアでした。

トキを入れた木の箱が段々田んぼの畦の上に1箱1箱と並べられていきます。

そして・・・いよいよ、放鳥開始!

地域の皆さんが紅白のテープを切ると、箱がパカっと開いてトキが姿を現しました!

トキ、登場!

さあ、行け!

トキが大空に舞い上がります。

大谷さんも自分の箱をあけてトキを放ちました。
突然フタが開いて視界が開けたためか、トキは箱の前で一瞬混乱しながら慌てて飛び立ちました。

すかさず、大谷さんがカメラで撮影します(さすが!)

子どもたちが開けた箱からもトキが飛び立ちます!

佐渡の未来を担う子どもたちに夢を託して!

海の方向に向かって飛びあがったトキは空の上でぐるっとUターンすると、棚田に集まった大勢の人々の頭の上を何度か旋回し、その後、里山に入っていきました。

わずかな時間の出来事でしたが、たくさんの歓声がわきあがりました。
この日は4回に分けて合計17羽のトキが放たれました。

大谷さんはやりきった達成感でいっぱい。

素敵な笑顔を見せてくれました。

この日を待ち焦がれ、活動を続けてきた彼の心には、何にも代えがたい感慨でいっぱいだったのでしょう。

最後に大谷さんからごあいさつをいただきました。

小野見に初めてトキがやってきてから足かけで10年。
その長く強い想いが込められたメッセージに多くの人が感動しました。

大谷さんにとってはトキは心を通わせる友だちのような存在。
ふるさと小野見に新しい友だちを迎えることができたという喜びに満ちあふれていました。
地域の皆さんにとっても何年も続けてきた取り組みにようやく光があてられました。

飛び立ったトキたちが小野見の田んぼで元気にエサを採り、長い冬を越し、そして、春にはつがいができて雛が巣立っていく―。

大谷さんと地域の皆さんの夢が一歩ずつ進んでいくといいですね!

小野見の皆さん、関係者の皆さん、お疲れさまでした。

後日、地元の人から放鳥の記念のタオルをいただきました。

「大佐渡地区第1回・放鳥」!
やっぱりそこに特段のこだわりを感じますね。

→ 後編に続きます

この様子はNHK新潟放送局のテレビ番組『きらっと新潟 キヨとアキラのトキストーリー』でも紹介されました。

注意

小野見の棚田は観光地ではありません。私有地が多く、道幅もせまく、農耕用の車の往来が多いため、部外者の立ち入りは危険です。無断で棚田や山道・農道に入らないようにしましょう。

(文:服部謙次、写真:服部謙次・大谷明・木村純平)