なぜトキは絶滅したのに佐渡にだけいるのですか?

(新潟県・はやとさんからの質問)

 トキは江戸時代までは日本中にいました。この時代には、江戸(東京)に将軍がいて、他の地域には藩があって、そこには殿様がいました。各藩には、どんなものが採れるか、どんなものがいるかといったことを記録した「産物帳」が残っています。

 昔の藩の場所を今の都道府県に合わせると上のような地図になります。ここで赤く塗った県にはトキがいたという記録が残っていました。この他に、福岡県にあった黒田藩には冬になるとトキが鶴と一緒に現れるという記録もあります。トキは今は佐渡にしかいないですが、実は昔はいろんなところにいたのです。それでは、なぜトキはいなくなってしまったのでしょうか。そのことをお話しします。

 明治時代の初めには、まだ東京にもトキがいたという記録があります。しかし、大正時代になると、トキは日本全国で見られなくなって、絶滅したかもしれないと言われていました。昭和時代の初めに能登半島と佐渡島と隠岐島の3箇所に残っているのが見つかりました。

 1940年当時には島根県の隠岐島と、石川県の能登半島、新潟県の佐渡島で合わせて100羽ほどがいたと言われています。1952年にはトキは特別天然記念物になりました。この時には日本の中でも、佐渡に24羽、能登半島に8羽、合計で32羽だけになっていました。その後、さらに減っていきました。能登半島では1970年に最後のトキ「ノリ」を捕まえたことで、本州のトキは全ていなくなりました。その時は、佐渡にはまだ10羽ぐらいいましたが、1979年に5羽になっていました。

 当時の環境庁がこの最後のトキを全部捕獲して、飼育下で増やすことを決めました。1981年に全部捕獲したことで、日本のトキはすべて野外からいなくなりました。

トキが減ってしまった原因は大きく3つあります。

 一番大きなものは、明治時代の狩猟の解禁です。
 「狩猟」とは、鳥や獣を人が狩りをして採ることです。江戸時代は狩りは殿様しかやってはいけないことになっていました。殿様以外の人は狩りができなかったので、トキなどの生き物は守られていました。しかし、明治時代になると、誰でも鉄砲で狩りができるようになりました。たくさんの人がトキを撃ち殺して捕まえたので、数が一気に減ったのです。実は、明治時代にはトキの他にもいろんな鳥や大型の獣が絶滅しています。

 2つ目の原因は、トキが巣を作るのに使う森林が戦争で破壊されたということです。
 第二次世界大戦が終わった直後には日本にはトキはまだ30羽くらいいました。けれど、1950年代に入って急に減っています。
 戦争の時代には山の木がたくさん切られました。戦争直後にアメリカ軍が撮った航空写真を見ると、佐渡の島の中でも山の木がなくなって丸裸になっていたのがわかります。トキは林の中に巣を作って子どもを育てます。だから、森林が無くなったことで、繁殖ができなくなったのではないかと思います。
 トキの寿命は15~20年くらいです。戦後まで生き残っていたトキは、おそらく、戦争中には繁殖できず、戦争が終わった頃には、もう年を取っていて繁殖できない状態になっていたのではないかと思います。

 3つ目の原因は、農薬です。
 戦争が終わった後、農薬が導入されました。DDTという農薬が、第二次世界大戦中に連合国側で開発されました。戦争が終わると、日本にも入ってきて使われるようになりました。この農薬をまくと生き物がいなくなります。
 当時は、DDTは人間の体には影響がない、安全な農薬だと言われて、広く使われましたが、実際には自然界でいろいろな影響が出ました。
 DDTは体の中にカルシウムを吸収するのをおさえてしまうことがわかっています。カルシウムは卵の殻や骨を作る物質です。
 特に鳥では卵の殻が薄くなって、卵が生まれても、すぐに割れてしまうという現象が欧米でたくさん報告されました。日本で農薬の影響が実際にあったかは確認されていませんが、中国では死んだトキの体から高濃度の農薬が確認されたという例もあります。

 1981年に環境庁が全鳥を捕獲したことで、日本のトキは野外からいなくなりました。
 ここで捕まえた5羽と、別の場所で捕まえて先に飼っていた「キン」という名前のトキと合わせても、全部で6羽しかいませんでした。さらに困ったことに、捕まえてみると、その中にはオスは1羽しかいないことがわかったのです。キンもメスでした。オスは1羽しかいなかったので、全部で6羽いたといっても、つがいは1つしか作れない状態になっていました。

 また、先に言ったように、すでに高齢になっていたという点でも状況は深刻でした。野外で最後に繁殖が確認されたのは、1974年あたりでした。もし、この時期に生まれたトキがいたとしても、1981年には7歳くらいになっていたことになります。捕まえたトキのほとんどは、実際はそれ以前に生まれたものだったと考えられます。捕獲したときには11、12歳くらいになっていたかもしれません。トキの寿命はオスで20歳くらい、メスで15歳くらいです。オスは若いメスとつがいをつくれば20歳近くでも繁殖できますが、メスは12歳くらいまでしか繁殖ができません。おそらく最後のトキは、捕獲したときには、ほとんど年を取ってしまっていたので、人間が捕まえて熱心に保護したにもかかわらず、子どもは残せずに、数がどんどん減っていたのではないかと思います。
 最後に生き残ったトキと中国のトキをつがいにして子どもを作ろうという試みもされましたが、結局子どもができませんでした。
 最後のトキ「キン」が2003年に死んでしまったので、日本のトキは全部いなくなってしまったのです。

 今、佐渡にいるトキは、元はすべて中国から来たものです。
 中国でもトキはどんどん減っていって、一時は絶滅したと考えられていました。しかし、1981年に洋県という内陸の地域で再発見され、7羽のトキが生き残っていることが確認されました。その後、飼育して繁殖させることに成功し、数を増やしていきました。

 1999年には、日本は、中国から友友(ヨウヨウ)と洋洋(ヤンヤン)という名前のトキのつがいをもらいました。このつがいから生まれた子どもたちを元にどんどんトキを増やすことに成功しました。飼育したトキが増えていって、100羽くらいになった時に放鳥しようという話になりました。鳥を野外に外に放つことを「放鳥」といいます。

 2008年に初めて佐渡の野外にトキが放鳥されました。放鳥はこの年から毎年行われ、その数は合計すると500羽以上になります。放鳥したトキのうち、100羽以上が今も生き残っています。それに加えて、野外でも、どんどん子どもが生まれているので、現在では佐渡には野外で全部で500羽以上のトキがいます。

 実は佐渡にいるトキは、毎年本州の方にも2、3羽くらい飛んでいっています。ただ、ほとんどがメスです。メスしか飛んで行かないから、行った先では繁殖ができないのです。なぜ、オスはあまり島外に飛んでいかないかという疑問も出てくるでしょう。ただし、これに答えるのは結構難しいです。
 鳥の中にはいろいろな種類がいますが、トキと同じようにメスの方が広範囲で行動するものがたくさんいます。反対にオスは縄張りを構えてメスが来るのを待っているものが多いです。メスが動き回って、縄張りを持ったオスを選んで、つがいをつくるという性質は鳥の仲間では普通に見られます。オスもメスも両方が動き回ると互いに会えなくなるから、片方が動き回るようになったのかもしれません。一方で、哺乳類では逆にオスが広く動き回ることが多いです。もちろん例外はありますが。

 これまでいろいろなことをお話しましたが、一言でトキと言っても、いろいろな歴史をたどってきて、現在の状態になっています。だから、現在はトキは佐渡にだけにいるというわけです。
 ただ、これから本州でもトキの放鳥が始まる計画があるので、将来は佐渡以外でもトキは見られるようになっていくと思います。

(解説:新潟大学佐渡自然共生科学センター 永田尚志教授)
※ ここで紹介したお話は2025年2月現在の情報で作られています